ゆっくりとさよならをとなえる

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

幸福になりたいという言葉の先に幸福はない

幸福は、少なくとも私には、過去形でしか存在せず、それをかみしめて、今どうなっていようと束の間安らぎを得る。郷愁や、なつかしさや、法悦に近い気分に浸る。

幸福になりたいという言葉の先に幸福なんて存在しないのに、人は結婚したいと望み、就職したいと望む。それは一体なぜなんだろう?どういう意味なんだろう?幸福になりたいという先に幸福なんてありゃしないのに。どういうことなんだろう?

それが過去に変わってしまう時の気持ちを味わうこと、これでしか幸福はないのではないか?みんな年を取ってそれが過去になってしまってからでないと、幸福になれないのか?いや、違う。幸福とはなんだろう。

けど、彼がいたとき、私はたしかに不幸だった、不幸だけど、やめられない不幸だった。それが幸福なのかもしれない。つらかったけど、苦しかったけど、今過去になってよかったけど、どうしてだろう、懐かしい気持ちになるとき、それはたんに彼が恋しいというのでなく、彼の瞳に映った美しい自分自身の姿に畢竟再会したい気持ちが強いのだろうと思う。けれど、もし「あなたはたんに俺の前にいる自分自身が恋しいだけで、それは相手が俺じゃなくても出会える自分自身だろう?俺が恋しいのではないんだ、あなたは」と彼に言われるとする。私はきっとNOと言うんだろう。いいえ、いいえ。違うんです、あなたと一緒にいる幸福はあなたでしか埋められないんです。

そして彼はそれでもさよならと言って静かにいなくなるんだろう。不在は、何度も彼がいなくなることを繰り返して、塗りこめられた空気の塊みたいなものになっていく。私はそれが苦しいんだ。