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ゆっくりとさよならをとなえる

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

汚れても壊れても

お別れされて以来、自分はずっと鬱沼とか泥沼を引き寄せていて、自らはまり込んでいってた。理性はひっきょう、私の頼りにはならないということ以外知りえなかった。人はどうして負けているとより一層負けに振り込んでしまったりするんだろう?もうこれ以上負けていられないという局面で負けに行く。

最終的な負けは、美しい負けは、死だけれども、人間は卑しいから生きていく、どんなに負けても。それで潜在的に死を求めて負けようと動くのだろうか?そこに死ではなく、詩が生じる。

心は本当の負けをいつでも求めている?どんなにつらくても、心が歌って、決して負けない、生きている限り、人間は負けないから、本当の負けを求めて、同じように死=詩を求める。

「本当の負けを知りたいんです」

「そんなものはない」

「いいえ、どこかにあるんです、だからこんなにつらくても生きるのをやめないんです、私の心臓は」

「人間は負けない、だからいやしいのだ」

本当の負けは、「どこにも本当の負けなんてない」ということを悟った瞬間におとずれる。どんなに汚れても壊れても、心臓は動いている。だから私はひとりでいられる。