ゆっくりとさよならをとなえる

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

予行練習としての手紙、その2

まだうまく言えないんだけど、誕生日を祝うのもクリスマスや正月を祝うのも、私が言ってからされても意味のない愛情表現なんだよ。だから祝わなかった過去を謝罪されて翌年から行為をたとえ改められても、不安は消えなかったのね。「私は愛されているのだろうか」という不安ね。

お別れされた今は、もうこだわらないけれども、もしあなたとまた付き合うにしても、この別れはそういう意味で必然だったんだけど、あなたはそれに気づいているのかな?そして、この私自身も、この別れは必然だったんだと、心に刻まなくてはならない。いろんな考えや打算も含めて彼を許したけれど、そんなやさしさは結果的にあなたを傷つけて、あなたを排除するものになってしまった。私はどうしてもあなたを許せずにきたから。そして、先述のことに由来する「私は愛されているか」という不安に踊らされていたから、あなたを消耗させてしまった。私も消耗したけれど。

そういう意味で、私とあなたはおあいこだったんです。