ゆっくりとさよならをとなえる

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

気づいたこと

彼と付き合い、彼にお別れされて気づいたことは、遅すぎるかもしれないけれど、人にやさしくしたり大目に見て許したりすればするほど、裏切られて自分が損なわれるんだということだった。

私は、自分の誕生日をスルーされたり、連絡がひどく少ない関係の中で耐えられるほど強くないのに、むしろ、毎日愛情を確認しないと不安でたまらなくなる弱い人間なのに、強がって、彼を許して関係をそれでも続けていこうとしたことが間違っていた。それでこんなに自分が損なわれている。

彼は、私の尽力や心を砕いたことを、全く考えてくれなかったんだ。私が誰か一人のためにそうするには私の人生が限られているんだということを。

あるひ、こんなやりとりが私と彼との間で起こった。

私「サンドイッチをバスの中で食べたら手が汚れるだろうから、この紙お手拭き持って行っていいよ」(と言って私の手持ちから渡した)

彼「ああ、ありがと」

私(彼がそっけないので)「優しいでしょ」

彼「うん。けど、あなたの優しさって、わかりにくいんだよ、さりげなすぎて」

私は面食らって何も言えなかった。梅田でバス乗り場に向かっていた時のこと。私は自分を無駄にしたんだ。占い師にそんな年下をいい歳して、とよくあきれられる。彼と付き合うということそのものが自分を損なう事なんだという予感は最初からあって、それが私の神経に余計に堪えた。その予感の由来は、彼が一切私に連絡を寄越さないという点にあったんだけど。もう耐えられなかった。今も。飼い殺しだと思った。私は、たぶん、彼が私と付き合う以前の女性からされたことを、彼が今度は私にしたんだろう、とよく考えた。

もう彼の事は大事にできない、お別れされたから。それから。今後のこと、どうすれば自分を私は大事にできるのだろう?どうして、彼にひどいことをされたのに、それでも私は彼に関わろうとするんだろう?そしてそれが聞き届けられないのはどうしてだろう?自分を大事にしようと結論した結果、彼に友人として関わることを決めたのに。どうして?彼のことは一生思い出したくない傷にしかならないのだろうか?