ゆっくりとさよならをとなえる

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

喪の仕事

コーヒーを飲みすぎたせいで、今とても調子が悪く、うつ状態に陥っている。別れ際の彼の言動や態度が自動再生されて、それが私をいまだに苦しめている。その先に出会いなおしや再びの巡り会いが待っているのならいいのだけれども、それもわからない。

うつというのは、喪失感情や執着心と深くかかわっているらしく、「愛する者への絶望的叫び」と言えるらしい。そこで、内向する怒りや悔恨といった感情を取り扱う喪の仕事というのをおろそかにすると、平たく言って「うつをこじらせてしまう」のだ。私がインターネットでこのように言葉を並べているのだって、畢竟喪の仕事の一つであり、私が立ち直るための重要な作業だ。この喪の仕事というものは、私のように家庭環境の混乱に人生を左右されてしまった人間には、永遠に就くべき仕事なのかもしれない、と感じる。具体的に何をすればいいのかわからないけれど、共鳴や共感の中に身を置くこと、安全だと感じる場所で気持ちの観察を行うこと、じゃないだろうか。私はおそらくこの喪の仕事を一生必要とするだろうと思う。彼を喪ったからじゃなく、それ以前の問題として。これをおろそかにした(せざるをえなかった)主人公の出る映画が『禁じられた遊び』だ。禁じられているのは、映画中に出てくるお墓ごっこではなく、むしろ、この喪の作業のことをさしているのではないかと思う。一生対象に呪われる、喪の作業を真剣にしないままだと。