ゆっくりとさよならをとなえる

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

神様

今日は暖かい。私は彼を思った。胸の痛みは以前より数段ましになっている。苦しさもやわらいだ。もう3か月以上経つから、そうでないと不思議なんだけど。別れ際はとても後味の悪いものだった。彼が冷たい卑怯な言葉や行動をとっていて、私が必死に追いかけて、追いすがって、待って、待たされて。たくさん泣いた。自殺も本気で視野に入れた。苦しかった。夜中に眠れなくて、耳元で如実に囁くおどろおどろしい何かの声を聴いた。ああ、こういうことが起こるんだな、私はこの先どうなるんだろう、と自身が当分不幸や苦痛にさらされるしかない時間を過ごすというのを予感した。彼を失うことは、自分のバランスを損なうことだと直感していた。だけど、彼はもう立ち去ろうとしていた。私のもとからいなくなることだけを一途に信じていた。

追いかけたことが今私を苦しめている。なぜあんなに泣いてみっともなく追いすがってしまったんだ・・・・・・。もう彼にとって私は一刻も早く過去に置き去りにしてこの先ひとりで行ってしまいたいという人間だったのに。だけど、あんな別れ方はひどい。一目も会わず、言葉だけで、しかもメールの活字だけで、強がって傷つけあいながら、別れた。それでも私は強くなくてはならなかったのだろうか。

もう彼の佇まいというか、気配は私にはなくなってしまった。一生現れないのだろう。なんてさびしいんだ。好きだった人にもう二度と会えない。そう思いなおすほど、どうしてだろう、可能性を無視できない横着が生じて、私はまた来年の春にでも、彼に会うんじゃないかと考えてしまう。その時、私も彼も、元の通りにはならないけれど、どうなっているかはわからない。今がただの眠りの期間で、目ざめたときに彼がそばにいてくれたらいいのに。今までとは違った形で、おんなじふうに。もう一度、”始められたら、始まったら”いいのに。終わりであるとともに、始まりの記号としての彼。私に今あるのはそういう彼だけだ。実際に始まるかどうかはともかくも、もう一度始まる記号として、私の中に彼があり、私はその彼に対して反射反応をするだけ。「もしかしたら」ということ。可能性を無視することは人間には難しい。お別れされた後の彼は、彼の元カノの人妻2人に肉体関係をもったというひどい人間なのに。自分を大事にしない人間を待ったところで、私に何の得があるのか。理性はそう言う。私には、もう理性もまともさも残っていない。乾いた無しかない。なのに?

もう一度だけ、会いたい。もう一度だけ。これが慕情なのか、未練なのか、自尊心の回復のための生理反応なのか、わからない。だけど、もう一度だけ、会いたいんだ。

神様。