ゆっくりとさよならをとなえる

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

別の誰かと新しい恋愛をするなんて、考えられない。だからといって、彼とまたもとのように恋愛することも。

ためいきがやまのようにでる。私の身体の中にためいき工場があって、眠るとき以外フル回転でためいきを製造している。そうして、ときどき口唇から吐き出す。吐き出されずに製造されたためいきは体内にまだあるから、私が今刺されても、雲しか出てこないだろう。ためいきは、追いつけなかった雲。

だれとも会いたくない。けど、道の往来で彼の面影にふと出会うと、目で追いかけて、こころが逸って、あなたですか、と問いたくなる。圧倒的な感動がそこにはあるんだ。しばらくして彼でないんだと気づいて、けちな諦めを味わう。私はどうしたいというのだろう。もう元には戻らないというのに。彼は私の慕情の記号でしかなくなってしまった。もし、今彼を目の前にしたら、私は自分がどう感じるのだろう。恨むのか、いとしく思うのか、無感動なのか。涙が出るのか、笑いがこぼれるのか。彼はどうなんだろう。疲れた、と言っていたから、疲労が勝るのかな。私も疲れたから、再会するということがもしあれば、そのころにはとくになんの感慨もわかないのかもしれない。

純粋の恋は、記号への反射反応なのかもしれない。むしろ、反射反応でしかない、おそらく。私は彼がいなくなって、その不在の、どうしても埋まらない隙間に立ち返るたび、一緒にいた頃より真に彼を愛するようになれたんだと考えるようにしている。そして、それは真実や事実とそう遠くかけ離れていることでもないと思う。