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ゆううつ日記

いざ、生きめやも/さよならの学者に、なりたい

自我の貧困化

自分が貧しくなっているのがわかる。なにが友人になりたい、だ。おこがましい。偽善も偽善。きよらかさの予見なんて、予見という時点で下心がちらちらする。私はなにをしたいのだろう?ただ彼と話をしたいだけなんだが、それはなんのために?自分の名誉?ひどい取り扱いを受けたという損害。私は彼に、バースデーを祝ってもらえなかったことにいまだに傷ついている。①連絡がなかったこと②誕生日祝いがなかったこと③大学名を教えてくれなかったこと④クリスマスになにもなかったこと⑤正月になにもなかったこと。これだけ重なって傷ついてきたのに、どうして私は彼をまた許したつもりになって、やり直せるなんて考えたんだろう?本当に悔しい、甘かった。彼はもう私に愛を示してくれない存在だと痛いほどわかっていたのに。もう修復不可能だったのに。

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きみはともだち、その2

さっき、父親とひどい言い合いをして、

悲しくてたまりません。
自分を犠牲にして時間も言葉も無駄になるほどだった母親が私と弟を手放してしまって、
母親と私の人生をひどく狂わせて私をうつ病にした原因の父親が、ありふれた幸福の中で生きていることが私にはどうしても納得できないんです。
 
悲しいことはこの先にもたくさんあると知っています。ももういい大人ですから。
そんな中であなたと友人に(できれば親友に)なれたら、どんなにかなぐさめられるだろう。
悲しいことはこのさきにもいっぱいあるんです。
傷つくことも大事だと知っています。
だから、あなたにメールしました。
 
あなたと友人になりたい。
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さびしいね

こんな天気のいい朝に、私は一人で目覚め、夜一人で目をつむるだろうと考える。その時脳裏によみがえるのは彼との思い出。彼は思い出の中で今でも笑っている。今、彼の声を電話越しにでも聴けたら、私は嬉しくて死ぬんじゃないだろうか?

さびしいね。それができなくて、私は生きていかなくてはならない。彼は私と友達になってくれるだろうか?なってくれないと、死にそうだ、けど、なってくれた方がもっと死ぬ気がする。けど、そっちの方が幸福。そうして死ねたらいいのにな。

彼と、友達になりたい。

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きみはともだち

何が望みなのか、うすうすわかってきた。友情でも恋情でも、私はもう一度彼と同じスタートラインにつきたいと考えているらしい。要するに、なんとかかかわりをもって生きていきたいというのが最終的な希望のようだ。それが友情でも恋情でもかまわない、とにかく関わっていけることからしか、今は思いつけない。

しかし、問題なのは、「なんとかかかわりを持って生きていきたい」と言うのがある角度からみればいかにも恋愛臭くて、それを人から説明を求められたらなんといえばいいかわからないこと。慣性かもしれない、単なる。わからない。かれのある部分が私を恋愛感情抜きで尊敬させていて、その秘密が知りたいのかもしれない、もちろんそれは血みどろの戦いの中からと言うのではなく、もう傷つきたくない気持ちでいっぱいだから、昨日水平で公平で透明な気持ちで「彼の親友がいい」と思ったのだ。

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不幸→幸福、長い道のり

彼にお別れされたことは、とてもとても不幸なことだった。晴天の霹靂だった。たくさん泣いたし、たくさんの負を引き付けてしまったし、嫌なことがたくさんあった。

今は、回復途上にいるのだと思う。もう前ほど彼との思い出に固執しなくなったし、時々思い出して、なつかしいな、くらいの気持ちになることが多い。彼なしの幸福を以前より受け入れることができるようになった。

それでも、今みたいに彼の不在がとても堪えることがある。用事を済ませて、ふと、ひとりの時間に入り込むと、もう一生彼に会えないことがとてもとても堪える。「どうすればよかったんだろうな」「なにがいけなかったのかな」という初歩的な自問が始まって、もう彼がそれに答えることすらないことに私は涙が出そうになる。

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喪の仕事

コーヒーを飲みすぎたせいで、今とても調子が悪く、うつ状態に陥っている。別れ際の彼の言動や態度が自動再生されて、それが私をいまだに苦しめている。その先に出会いなおしや再びの巡り会いが待っているのならいいのだけれども、それもわからない。

うつというのは、喪失感情や執着心と深くかかわっているらしく、「愛する者への絶望的叫び」と言えるらしい。そこで、内向する怒りや悔恨といった感情を取り扱う喪の仕事というのをおろそかにすると、平たく言って「うつをこじらせてしまう」のだ。私がインターネットでこのように言葉を並べているのだって、畢竟喪の仕事の一つであり、私が立ち直るための重要な作業だ。この喪の仕事というものは、私のように家庭環境の混乱に人生を左右されてしまった人間には、永遠に就くべき仕事なのかもしれない、と感じる。具体的に何をすればいいのかわからないけれど、共鳴や共感の中に身を置くこと、安全だと感じる場所で気持ちの観察を行うこと、じゃないだろうか。私はおそらくこの喪の仕事を一生必要とするだろうと思う。彼を喪ったからじゃなく、それ以前の問題として。これをおろそかにした(せざるをえなかった)主人公の出る映画が『禁じられた遊び』だ。禁じられているのは、映画中に出てくるお墓ごっこではなく、むしろ、この喪の作業のことをさしているのではないかと思う。一生対象に呪われる、喪の作業を真剣にしないままだと。

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桜を見て

春を感じると、彼の新しいスタートが想起されるせいか、とてもやりきれない気持ちになる。死の淵まで追い詰められて、もうあきらめる以外にないんだと宣告されたようで。桜を見て、つらくなるのが人を本当に想うことなのかもしれない。別れは「忘れないで」とお願いする間もなく訪れてひどいものだった。いったい何がいけなかったのかと、私だけがその問題を引き受けるはめになるということが、振られるということ。もう彼は私のもとに戻ってこないだろう。偶然でも運命でも、再会することもないだろう。もう私の人生と彼の人生が交わることもないんだろう、たぶん。

桜を見て、そういうことを考えた。

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なぜ

なぜこんなに苦しいのだろう。もう死んでしまいたい。元彼も、元元彼も憎くてしかたない。どちらも究極に鈍い人たちだと思う。

もう疲れた。死んでしまえたら楽なのに。というか、元彼が死ねばいいのに。

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夢の途中

夜中に一人で暗い中目がさめるのにも慣れた。もう私は彼を思い出さないはず。けれど、彼が戻ってくると考えずにはいられない。戻ってきてほしいから。夢の終わり。

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元元彼と話した。会おう、と言われた。断った。元彼の言葉を拝借した、「あなたとの再びの出会いを受け入れる力がない」。そしてそれは本心だった。相手はすぐに不快を示した。けれど、私の決心は揺るがなかった。

寂しくて死にそうだ。元彼は、私とそういう理由で会って話すことを断ったのに、人妻の元カノとは会って性関係になった。私はそのことで深く傷ついている。人妻の元カノと私の違いは彼にとってなんだったんだろう。それを思うと。

私の一生分の愛を捧げた人が簡単に消えた。いなくなった。心がかえってこないままで、行ったきり。こういう喪失が身体中しみわたって、どうあがいても汚れたままきれいに忘れることができない。どうすればいいんだろう?寂しさが私を疲れさせ、汚れたまま、壊れたままで。どうすればいい?どうすればいい?もう一度だけ、彼に会って話がしたい。彼から呼びかけられたい。どうすればいいんだ?喪失が、しみわたっていく。

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